人生というのは、長さではなく「中身の濃さ」だ。 だから、長く生きたからって素晴らしいってもんでもない。
というような文を、目にした。
本当にそうだろうか。 若くして天国へと旅立った人は、中身が濃かった人生を送ったから 満足だ。と思って旅立っただろうか。 私には、そんな風にはとても思えない。
そんなの死を美化しているだけのように思う。 中身が濃かったに違いないから、短命でも良かったんだと 言っているようで、私は納得がいかない。 残された人間が、悲しみを受け入れるための言い訳のように思う。
病気によって夢や未来を絶たれ。 もっともっとやりたいことがあった。 たくさんの時間を共に過ごしたい人がいるのに。 何で今なんだ。何で今死なないといけないんだ。 悲しさと悔しさと、どこにもぶつけることが出来ない怒りを 胸に、旅立つ時を迎えたに違いないと、私は思う。
だからこそ、残された人間は 悲しまなくてはいけない。たくさん泣いて泣いて泣いて。
泣いていいのです。
人の死ほど、人にとって辛いことはないのです。 どんなに苦しいことも、痛いことも、悲しいことも、 人の死よりも辛いことは、ないと思うのです。
だからこそ、残された人間は、 笑って生きなくてはいけない。たくさん生きて生きて生きて。
伯父が自殺した時、命について死について 考えさせられました。 先日は、弟の後輩だった子が自殺したと聞きました。
生きたくても生きられない命がある。 どうして、自ら命を絶つことなど出来ようか。
人を殺したら罪になるのと同じように、 自らを殺めること、残された人間を苦しめるという罪に値する。
私はそう思うのです。
どうか私の周りの大切な大切な人たちには 命を大事にして生きて欲しい。 いつやってくるかわからない、人生の終点だけれど せいいっぱい毎日を笑って生きて欲しい。
あなたが、君が、笑うためなら どんなことだってするよ。そばにいるよ。そばにいたいよ。
今日の私のBGM。なし。
|
|
|